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12/2/25 志木市民病院の小児科「撤退」について思う(その2)

志木市民病院の小児科撤退問題に関しては、医療関係者からも危惧する声が上がっています。

東京都北西部と埼玉県南西部の小児医療を守るための小児科医共同声明

退職ということであった志木市民病院の医師の名前が乗っており、どうもご本人の希望100%で和光市の病院に転職されるのではないことが推測されます。

この志木市民病院の小児科休止の話が時々報道され、あちこちで話題になるのですが、小児科そのものが休止なのか、小児科の入院体制が休止なのか、よくわかりません。

前述の医師たちの声明でも、「志木市の志木市民病院からの小児科撤退」とあるので、小児科そのものが消滅するように見えますが、志木市長の発言の報道によれば、入院受け入れの休止、ということで小児科そのものは残るようです。
ただ、今まで志木市民病院が担ってきた役割を考えますと、実質小児科休止、とみてもいいような気がします。

突然でてきた志木市民病院の小児科休止問題ですが、冷静に考えるとこれだけの大きな問題が、突然出てきたということには釈然としない思いを持ちます。
星野市長と新座の市長が県知事に存続のための支援を要望したのに対し、県知事は、昨年秋までに相談してもらっていれば、のようなお話があったようで、そもそも、もとから小児科休止が既定路線ではなかったのか?と疑ってしまいます。

上田知事もお怒りのようなコメントを出されており、県も唐突感があったようです。

東京新聞の記事
少し前から報道があったようですが、これを見るとはじめからその気だったということなのでしょう。

確かに財政的には大変な負担であったようなので、休止もやむなしの状況ではあったと思いますが、近隣が財政支援の申し出をしているのに、それを無視してバッサリということであれば、志木市の都合だけを考えていると考えざるを得ません。

12月の志木市議会の会議録も見たのですが、
『◎(氏名略)医療政策部長 お答え申し上げます。
 今後も市民病院は経営改善に向けた取り組みを継続しつつ、子どもから高齢者までが安心して安全に暮らせるよう地域医療を確保してまいりたいと考えております。』
小児科入院受け入れ休止を画策していながらの発言とすれば遺憾です。

該当の発言のある会議録
(内山純夫議員の一般質問参照)

まずは志木第一なのは市営である以上当然なのでしょうが、近隣との協調も考えていただきたいと思います。
近隣も、応分の負担はすべきと思います。

小児科医療体制が早期に再構築され、市民が安心できるようになってほしいと願います。

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12/2/25 志木市民病院の小児科「撤退」について思う

我が家では入院のようなことはなかったので、万一小児科で入院のような事態になったときは、どうするのかについて、正直あまり考えていないというのが実態でした。
ふじみ野地域に住んでいる場合は、最終的には川越の埼玉医大か所沢の防衛医大にお世話になるのだろう、といった漠然としたものでした。
志木市民病院の存在は知っていましたが、小児科の入院体制があるのは知りませんでした。

最近の報道では、和光市の病院が小児科の継承要望を取り下げたというものもあって、この問題が様々な思惑も絡んだもののように見えてしまっていますが、日大付属病院とすることを「目指す」のようなゆるい方向性で幕が引かれようとしているようにも見えてしまっています。

良い機会なので、いろいろい調べてみました。
富士見市は、二次保健医療圏では、南西部保健医療圏に属しており、ここは和光市~ふじみ野市の東上線沿線の6市1町が該当しています。なので、志木市民病院へは富士見市の子供たちがお世話になっていることは容易に想像できます。

埼玉県 医療機能情報提供システム
というものがあるのですが、ここで救命救急センターを検索すると、何と南西部は、

該当する施設はありません

となっており、じゃあどうするのか、ということが書いてありません。
これだけで判断してはいけないのですが、「使えない情報」と評価せざるを得ません。

近隣の病院に搬送されるのだろうとは思いますが。

救急医療に関しては小児科だけの話ではないのですが、なかなか厳しいのだと感じました。

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12/2/25 「絆の会ふじみ野」の真の目的は如何に

話題にすると何か支援しているみたいですが、そのつもりではありません。、
この会が表明している清算組合への提言や、代表清算人への批判といった内容については、地権者の権利かなと考えるので、特に論評はないです。

ただ、何が目的なのかということがはっきりしないなあ、という思いが強くなっており、悪い印象が増しているのです。

当初は、純然に財産問題かなと思っていたのですが、どうもそうは見えなくなってきました。
先に結論を行ってしまうと、今年の市長選にからめて、対立候補(予定者)に優位となるネタを供給する目的か、また来年の市議選にからんだ動きか、のようにも見えてきています。
勝瀬原の区画整理は、多くの地権者の身を割かれる思いと努力で成し遂げたものであると思いますと、仮に区画整理をめぐる問題を別目的で政治問題化しようということであれば、多くの地権者の思いを踏みにじるものであり、断じて容認できるものではないと思っているのです。

見聞きした範囲での判断になってしまいますが、会の代表者の方が、様々なものを断ち切って不退転の思いで何かをなそうとしていることだけはわかりました。
その心意気は理解できます。ですからなおのこと、政治問題化して第3者を利するようなことは、それが結果的であろうともしてほしくはありません。

残余財産の処分に関しては、大多数の地権者の総意として交流センター駐車場の寄付が行われ、残った財産を地域のために使うということも大多数の地権者の総意であると解釈しており、個人的にもそれに賛同して支持しています。
一方で、財産の地権者への返却ということが大多数の地権者の総意であるとすれば、自分の思いは思いとして、総意に従います。

交流センター駐車場に関して、「会」は法律論を持ち出しているように見えるのですが、それであればさっさと訴訟に持ち込めれば、楽勝のように思います。
それをせずに市議会への陳情に固執しつづけているのは、もはや主目的が政治問題化であると考えざるを得ません。

また、代表清算人に対する反発というところは一貫しているように見えます。
このあたりも、個人的な人間関係というように見えてしまい、それを政治問題化するのはいかがなものか、と思ってしまうわけです。

以下は感想的なものなのですが、土地がからむということは、地権者の心情に大きく影響することは否めないわけで、そこに様々な軋轢が生じることはしかたがないのかもしれません。
勝瀬原の区画整理は、開始から換地処分を行うまでに四半世紀を要しました。
ようやく終わりが近づいたと思ってから、最後の数年間はあと一歩のところで足踏みが続きました。「会」が提起している問題は、そういった背景を理解したうえでないと、わからないことなのかもしれません。

あるいは区画整理の始まる前、たとえば東武が買収を始めた1960年代からさかのぼってみないと、最終的には理解しえないことなのかもしれません。
そのように思いをめぐらせるとき、この会の皆様の思いも私には想像のつかない大きさなのかもしれません。

一方の当事者である代表清算人は、当初からの地権者に格別の思いをもっていると拝察しています。区画整理組合、清算組合における代表清算人の行動がどうかということにはここでは述べませんが、その思いもわからなくはないように思います。

いずれにしましても、自分は、地権者の様々な思いが込められて整備されたこの地域で、未来に向かって歩んでいきたいと思います。

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